自分が「頑張れ」という言葉を使わないようにしているわけ

まぁ、自己満足と言われてしまえばそれまでかもしれません。
それでも自分で決めたことなので。

頑張るとは?

今回もまずは辞書のお力を借りましょう。

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」

だそうです。
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本人に伝わっているのか?

スポーツの応援、時にマラソンを沿道で応援したり、何かの大会をみに行ってなんて時は多分自分も使うでしょう。
で、自分が使わないようにしているのは子供に何かを教えているときや叱っているときですね。
例えば宿題で苦手な算数の繰り上がりの筆算がでていて、「うーん、うーん」といって、「もうわかんない!」みたいなことを子供がいったときに、「もっと頑張れよ」って言いません?
自分はよくいってました。
あとは、サッカーのコーチとして教えていて、基礎練習でダラダラやっているをみると「ほら、もっと頑張れ」っていってました。
子供の習い事で試験があって、うまくいかなかったときに「また頑張ろうな」ってよく言っていました。
どのケースもなんですけど、言われた本人は何を頑張ればいいだろうって思ってるんじゃないのかな?と。
それにもしかしたら一生懸命やったのかもしれない、その上にさらに「頑張れ」って言われてもどうすればいいのよ、って思うかもしれない。
なんてことに気づきました。
まぁ自分が仕事で言われて、「じゃぁどうしろっていうんだよ」ってなったことがきっかけではあるのですが。
自分の場合はもう36歳ですし、自分なりに考えて工夫しないといけないですからね、それは仕方ないとちょっと諦めてます。
子供にとってみたら何かわからなくてうまくできないのかもしれない、体調がよくなくてその中で、一生懸命やれる力をだしているのかもしれない、もてる力を全部出していたのかしれない。
そんな状況なのかもしれないのに、ただ「頑張れ」だけをいうのはやっぱり無責任かなと。
その子にさらに無理をさせて嫌な思いをさせて追い詰めるだけになってるんじゃないかなと。

じゃぁどうしてるのよ?

じゃあどういう風に君はやってるのよって、話ですよね。
できるだけ、自分はそういうシーンになれば、なんで今そうやっているのか?何がわからないのか?そういったことをひとつひとつ確認してみて教えられること、解決できることをやろうとしています。

うまくできるまで時間はかかるんでしょうけど。
上であげた算数なら「どんなところがわからないの?」「なにに詰まってるの?」とか。
サッカーの練習なら、まずは「ほら、足が上がってないよ、もっとしっかりあげて」それでもかわらないようなら「どうしたの?なんか体調子悪いの?」とか。
習い事の試験なら「うまくいかなかったろころこれからの練習でしっかりやってみよう」とか。
具体的に色々やらないとダメなんだろうなって。
「親としてお前ができてないだけじゃん」と言われたら、まぁそれまでなんですけどね。
ということで、自分が「頑張れ」ということを使わないようにしていることについて書いてみました。

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