自分なりの父親になるということ 〜ばんかさんの「子供がうまれても父親なんて実感は湧かないし父親になるわけでもない」を読んで

私も二児の父親なので。
いつものようにRSSチェックをしていて今日の一番気になった記事がばんかさん(@bamka_t)のでした。
ということで久々のキュレーションの流れで以下のようにつぶやきました。


せっかくなので、ちょっと感想を交えながら自分なりの「父親になる」ということを書いていきます。

もくじ(クリックするとジャンプします)

長男の時は?

ふと振り返ってみると長男の時は、ばんかさんと同じように嬉しかったですし、病室に来てからは抱っこもしましたし、ミルクもあげました。
全てが新しいことで新鮮でした。
この時には「あぁ色々とこれからやっていかなきゃいけないのね」ってのは感じたのかなあと。
なんせ7年も前ですからね、はっきりとは思い出せないです。
その時は父親としてやっているというよりも妻が大変じゃない程度に何かやるって感じでした。
なので「父親」という気持ちは多分持ててなかったんでしょうね。
頭ではわかっていても何もしていないので、実感がないみたいな。

次男の時は

じゃぁ、次男の時はどうだったのよというと。
少なくとも長男の父親ではすでにあるわけですが、次男にたいしてはちょっとその分違ったのかなぁ。
一つにはすでに育児休職を取るときめていたので、「あぁこの子をしっかり大きくさせないといけないなぁ」と漠然と思っていた気がします。
ここが長男と違ったところですかね。
これが実感かというとそうなのかな?というのが本音です。

じゃあ父親になるということは?

ちょっと堅苦しいですけど、この記事を書きながら思ったことは、
「”子供のために何かをしてあげなきゃ”と行動するようになったら」父親になったということなのかな?と。
どんな小さなことでもいいんです、オムツを変えてあげるとか、ミルクをつくってあげるとか、あやしてあげるとか。
何かその子にとって今を生きていく、そして命を明日へと繋げて、子供自身の未来をつくっていく。
そして、いつか見つける子供本人がやりたいことをやれるように、自分ができること知っていることはなんでもするって少しでも思ったらそれで父親なんだと思います。
て書くとあんまり父親って実感の持てないもので後から気づいたらなってるものなのかもしれませんね。
そういう意味でも次男の7ヶ月目からの時の育児休職ってのは大きかったなぁと思います。
日中は二人きりでしたし、夕方からは長男も加わって。
男三人不思議な感じでしたけどね。
それがあったからこそ、色々と感じることができるようになったのかなと。
まずは自分が関わってみるというのが最初のきっかけになるのかもしれないなと自分は思います。
と書きながら先日の「なる」についてまた考えてしまいました。
表現的にはこれはあってるのかな。実現、成就しているので。
ちょっと横道にそれましたが。
こう書いているものの何が正解かはわかりません。
そう思うことはそれぞれのきっかけがあると思うので。
そもそも正解なんてものはなく、その人が父親になれたと思ったその時こそがその人の父親になった瞬間であり、世にいる父親になった人の数だけあるんだと自分はやっぱり思います。
なので、これが正解ってわけでもないし、他の人の書いたもが正解とは思わなくていいと思います。
ただ、父親としての実感がないな〜と思ったらこう言った人の意見を聞いてみて自分で考えてみたり、行動してみたりするのがいいんじゃないでしょうか。
ということで自分なりの父親になることを論じてみました。

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