先日佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)が次のようなことをツイートしてました。
「この辺りの静かな環境を気に入って家を買った。子どもの声や送迎で騒がしくなると…。ついのすみかと思っていたのに」と福岡の65歳男性。子供の声が騒音という感覚はいつから始まったんだろう。/高さ3メートルの防音壁 保育所は迷惑施設か http://t.co/Vw4YIcOPg1
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2015, 4月 21
子供たちの歓声って、騒音じゃない。私たちの社会の明るい未来、そこに向かう槌音というポジティブな響きだと思うけどな。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2015, 4月 21
これ以外にも非常に子どものいる親にとってはうれしいことをつぶやいてくれていただいています。
その辺は佐々木さんのツイートをさかのぼって見てください。
二児の父として思う事
私は二児の父であり、次男については7ヶ月目から現在までを育児休業を取得して私がメインで育児をしてきました。
こういった子どもの声が騒音だみたいな記事はこの数年、この時期以外にもよくでてきていて電車の中の話だったりなんだったりとでてきますね。
個人的に思うのは、子どもは「騒がしいもの」だと思っています。
だって大人みたいに理路整然と自分の思いを言葉にしたり、今は静かなほうがいいとか空気を読むことをまだ知らないですもん。
子どもと面と向かって過ごしてみるとわかるのですが、言葉覚えるまでは「あー」だったり「うー」だったり喃語を全ての行動のなかでつかって自分の意思を示してきます。
少し大きくなってくれば自分の事をきいてほしくて色々同じ事でも何度でもしゃべってきます。
こんな感じで常に声がでてますよってのが子どもだと思っています。
そうやって経験を積みながら我々大人のように自分の意思を伝えられるようになったり、周りの雰囲気を察して行動するようになってくると思うんですよね。
失敗したり、怒られたりして、こういう場所ではこういう行動をすべきって覚えていくものだと。
経験しなきゃ覚えないですから、やっぱり。
ちなみにコレをかいている膝の上でで次男は声をあげて遊んでます(笑)。
よく「子どもは泣いたりしてうるさいんだから外にでるなんてしないで親と一緒にずっと家にいればいいんだ」みたいは発言がでたりますが、これって親からすると辛いんです。
親にとっては自分の事を理解してくれる人と話す機会を失いますからね。
まぁ今はSNSとかあるのではき出すところはありますけど、会話ができないですからね。
ここ数日次男の体調が悪くて、たまたま眼科に行ったのですが、何人かのお年寄りには「どうしたの?」とか「おとなしくしてるね〜」とか声を掛けてもらいました。
多分子どもが好きなんですよね
そういう人も多いですよね、というか大半だと思います。
そういう所だとこちらも一応子どもをあやして騒がないようにしないとなぁと思いながら色々手を尽くしているわけです。
で、こう書きながら思うのは、最近ネットの記事も少しずつ新聞の様になってきたのかな?と。
弱者の声を逆照射していくみたいな。
静かな中で暮らしたいと言いたいこともわかります。
子どもの賑やかな声が邪魔になる人がいることも。
でもこういったことは1か0かではなくて、お互いが共存できるやり方もあると思うんですよね。
例えば保育園って園庭で遊ぶ時間や遊ぶ時間ってある程度決まっています。
なのでその時間は子どもの声の聞こえなように散歩するとか、そういうやり方もあると思うんですよね。
保育園だとお昼寝の時間があるので、その時間は静かなはずですし。
1親としては「騒がしいことを受け入れてくれ」と一方的なことは言わないです。
お互いのことを理解した上で、できることをやりたいと考えています。
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