Facebookのフィードに流れてきた一つの記事をみて思うところがあったので書いてみようと思う。
もう少しなんとか寛容にならないのかなぁ。
こんなんじゃやっぱり息苦しいよね。
3歳の次男がいる今、特に思いました。
電車の中で読みながら自分にも重なるところがあって目頭を熱くしました。
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子育てに寛容ではない社会
今回読んでぼくの心のに刺さったのはこちらの記事。
http://takashima.blog.jp/archives/54722356.html
記事にあったのは長女の保育園の卒園式にどうしても下の子を預ける事が上手く出来ずに式にほとんど参加できなかったこと。
それ以外にも過去に子連れでもよかったことも書いてあった。
そして今の社会に関して感じていることも書かれていた。
そのひとつひとつの言葉が今の自分にも当てはまってとても、とても辛かった。
厳粛な式である事もわかるけど家族を大事にしたくないですか?
もちろん先のブログの筆者と同じく我が家も長男の小学校の入学式は次男をパートナーのお母さんに入学式の間預かってもらいました。
産まれたばかりだったのもあるので預けるしかなかったのですが。
もう少し大きくなっていて同じ状況だったら多分どちらかが家に残ることを選択したんだろうなぁと。
だって、
「つれていけないから」
こう思ってしまうので、そこからの行動はできないです。
本当は、僕はこう言った節目の式だからこそ家族で出たいのです。
「ほら、あれお兄ちゃんだよ、カッコいいね」
とか、いってその姿を見せくありませんか?
もちろん写真でもビデオでも後から見る事はできます。
でもそれってリアル感がないんですよ、やっぱり。
どんな形でもいいからそのタイミングで見たいものってあるじゃないですか、近くにいて同じ空間にいるみたいな。
そんな事ができる社会であってほしいのです。
うるさいからダメじゃなくてそれを受け入れてくれる社会にしたい
うるさいからダメとか、親がちゃんとしつけてないからダメだだとか、ダメ、ダメだけ言われる社会って子育てしている親からすると窮屈にしか思えなくなります。
もちろん親が言うべきことは言うべきです。
でも大人でさえ言われてないことをやるのって難しいのに子供にそんな事ができますかね?
初めて連れていかれた静かにしておかなきゃ行けない場所について、いきなり「ここからは一言も喋るな」と言われたことを小学校にも通わないような子供に行って。
無理でしょ。
だったら経験させながら覚えていくしかないんじゃないですかね。
子供達にどんどんチャレンジさせる社会であってほしいのです。
体験させることのできる仕組みも考えてほしい
最初からダメだとなってしまうと何も体験できません。
そうではなくて、例えば別室があってそこからの見えるような仕組みを作るとか。
1番いいのは仕切りか何かあって声があまり漏れない所を作りそこから参加する形式でしょう。
でも学校の体育館とか保育園、幼稚園のホールだと難しい。
なので例えば全くの別室をつくり会場をカメラで映して、映像をその別室に送るとか。
同じような場を体験させて、体験させて慣らしていく。
カメラは固定で別に誰も操作しない。
全体を捉えるだけ。
それならひとが必要なんて文句もでないでしょう。
こんな事が出来るとすごく皆んな嬉しくなるはずなんですよ。
誰もが楽しく過ごしいける寛容な考えをもとう
人は皆どうしても自分の立場から物事を判断しがち。
だけれどもそうではなくて、その事に関わりたい人が少しずつ譲りあってそれぞれの幸福度が上がる方がいいと思うんです。
だからもう少し、本当少しだけでいいので寛容な考えを持ちませんか?
他にも自分の思うところをこういう形で記事にしています
http://www.jn1msd.net/lifeisrun/archives/2017-105/
http://www.jn1msd.net/lifeisrun/archives/2016-249/
[…] 子育てしている僕らに寛容であってほしい | Life is run […]
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